『吉田道昌の学舎』というブログを毎日見ています。 ↓
http://d.hatena.ne.jp/michimasa1937/


特に、最近(9/27、9/30、10/4、10/5)の文章は、
とても心に響いてくる。


ひたむきに自然農法をすすめている孝夫クンが、
今は倉庫に住んでいる。
近々結婚するのに、そこが‘新居’になるという。


「なんとかしなくては──」
吉田さんが動き出した。


常々、
彼とその周りの人たちの関わり合いは、 感動的。


自分が予定していた物も、
今実際に必要とされているところに回す、
それで当然、となる。

「これは、自分の…」というのが、
無いようです。


それぞれが、他を思いやり、
自分に出来る精一杯の、あるいはそれ以上のことをやっていく。


そうして、
‘人と共に生きるとは’という大きなテーマにとりくんで
実践しながら味わっておられるようです。

きのうに引き続き、JULA出版局の
『わたしと小鳥とすずと〜金子みすヾ童謡集』から。
特に心に響いた詩です。


   ******************

     ふしぎ

  わたしはふしぎでたまらない、
  黒い雲からふる雨が、
  銀にひかっていることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  青いくわの葉たべている、
  かいこが白くなることが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  たれもいじらぬ夕顔が、
  ひとりでぱらりと開くのが。

  わたしはふしぎでたまらない、
  たれにきいてもわらってて、
  あたりまえだ、ということが。

   ********************

これですよね──。
‘あたりまえ’になっちゃうんですよね。


以前、シクラメンを眺めていて、花が咲く瞬間に出逢えたことがあるんです。
つぼみの花びらは下向いているのに、
まるで仕掛けがあるもののように、パッと反り返るんですよね。
これには感動しました。
自然の巧みさに脱帽。
咲いてあたりまえ、では無いですね〜。


それと、小学校の3〜4年の頃のことを思い出したんです。
学校ではみんな、自分の椅子のうしろにランドセルをかけていました。
わたしの後ろの席の男の子が、なにかの都合で自分の机をグイと前に押したので、わたしのランドセルが押される格好になった。

わたしは思わず「ランドセルが、可哀そうや〜」と言うと、
その子に「かわいそうやて!」と馬鹿にされました。
わたしは、ヘンなことを言ってしまったと、後悔しました。

でも、後悔することもなかったのかな。。

こないだ基本検診に行ったついでに、図書館へ。
ここでは、DVDを貸してくれる。
在庫は少ないにしても、
3枚まで・1週間・無料 というのは嬉しい。

もちろん、まず邦画を探し、日本語字幕付きを確認する。
(洋画は、TVで見れるもんね。)

『みすヾ misuzu』というのを見つけた☆
金子みすヾの映画。喜んで借りてきた。
紀伊国屋COMPANY 2001)

期待通り、心に沁みる映画でした。


金子みすヾさん
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/misuzu0,.htm
の詩は、
5〜6年前に、友人同士で夢中になって、
今も時々詩集を読み返している。

JULA出版局の『わたしと小鳥とすずと〜金子みすヾ童謡集』から
一編引用します。

 *********************

     星とたんぽぽ

  青いお空のそこふかく、
  海の小石のそのように、
  夜がくるまでしずんでる、
  昼のお星はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。


  ちってすがれたたんぽぽの、
  かわらのすきに、だァまって、
  春のくるまでかくれてる、
  つよいその根はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

  ********************


嗚呼。。

自分は、つい、目に見えるもの、ものごとの表面ばかりに
気がいってしまいます。
  
  『星の王子さま』のキツネも言ってましたね、
  「見えないものが たいせつなんだよ」って。


みすヾさんの詩と、そこで感じたことを、
しばらく毎日書いてみようかしらん。
そんな風にしていたら、
少しは自分も変われるかしら……。

TVをつけたら、絵画教室の番組をやっていた。
何気なく見ていたら、
先生が、建物のスケッチを指導しておられた。

「垂直の線が、それぞれ真っ直ぐに描けてるかどうか、確認するにはね、この描いてる紙を、いっぺん ひっくり返してみるんです。
一生懸命に描いてると、目が慣れてしまって、垂直になってなくても、分からなくなっちゃうんですよね。」


へぇ〜、おもしろい〜 !

ワープロ入力を仕事で毎日やっていた頃、月に1度、入力メンバーで寄って話し合っていた。

どうしたら、入力ミスを無くせるかなども、それぞれ出し合った。

私を含めて何人かは、入力したものを出力して、原稿とつき合わせて確認していた。
また、横書きで入力したものを、画面で縦書きにして確認したりもした。

入力した画面で、そのまんま何度確認しても、ミスに気付かず、そのまま読んでしまうことがよくあるのです。


イラストを描いていて、ひっくり返して確認する、というのと、共通点がありますね。


世の中には、様々な人為的な出来事があって、信じられない悲惨な出来事も次から次へと起き、胸が痛みます。どうにも理解出来ないようなことも、たくさん──。

そういうことを作り出している、その人たちは、そういう風潮・気風・方向性などに慣れてしまって、
何が本質的に価値ある事なのか、
また何があってはならない事か、
見えなくなってしまっていることが多いのだと思います。

周りの人も、気付いてはいても、
「世の中、だいたいこんなもんだよね。。」
って慣れてしまったり・・・。


自分は、どうか──。
一度、ひっくり返して見てみなくては…。


きのうの朝は、霧でした。
数10m先は、ミルク状態。
と、電線からなにか下がってる。
白いベールの端切れみたいなものが、いくつか──。

クモの巣でした。

雨上がりにも
こんな風にクモの巣が見えて、
きれいだなぁ〜って眺めてしまうんです。

クモにとっては、見えてしまうって、迷惑でしょうけどね。
こっそりエサを待ち受けているのですから。


9/8の日記で、堀文子さんのことを書かせてもらいました。 ↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=555115432&owner_id=3789516

その堀さんを、先日、
NHK新日曜美術館』で、紹介していた。 ↓
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/0916/index.html

堀さんは、お庭のクモの巣に霧吹きで水滴を吹きかけて、
「ほら、素敵でしょう〜〜〜!」と見入っておられました。
そうやってクモの巣だけを題材にした絵があるんです。

本になったときの、添えられた文章も素晴らしかった。
クモは、2種類の糸を巧みに使い分け、ビックリするほど技巧的・芸術的に巣を作り上げていく。
『この美しさは、この世のものとは思われない──。』


わたしは、絵も描けないし、
逆立ちしたって格調高い文章も書けない。
ただ、
 わぁ〜、きれいだなぁ〜
 すごいわねぇ〜
と、眺めているのです。

きのう‘行ってみて正解だった☆’って書いて、

今朝届いた かめおかゆみこさんの メルマガ ↓ 
http://plaza.rakuten.co.jp/kamewasa/diary/200709240000/
を読んだら、
難聴の暮らし方について、またじっくり考えてみたくなった。


かめおかさんのメルマガは、全文読んで戴きたいけど、
あえて一部引用させてもらなら、この部分。

   *******

  だとしたら、私たちは、
  ひとの気持ちを大切に
  するのと同じように、
  自分の気持ちも
  大切にしていいんです。 


  自分の気持ちを
  思いやっていいんです。

   *******

どうなのかしら、
自分の場合は・・・、


大勢で作業するとき、
最初の説明や、作業途中に声かけられたのが
聞き取れないことが多い。


段取りさんは考えることがいっぱいで、
忙しそうにしていることが多いので、


自分がちょっと考えて、状況とかよく観て、
推察するようにしたら、分かることもあるし、


不安なら、自分から「これが、こうなの?」と訊いて
確認することが出来る時もある。


作業でなくても、ふだんから、
人の話は、グッと集中して、口の動きなど見せてもらって、
‘なるべく’耳から聴き取ろうとしている。
(無意識にそういう体勢になる。)


──こんな風にしていて、
グッタリ疲れたり、でも同時に、
「話せて良かった〜」「一緒に作業できて良かった」
となることが多い。


‘自分のことを置いている’訳じゃないよねー。


でも、もっと自分自身を大事にして、
  自分は快適、ひとも快適   (#^_^#
っていう風にしたら良いのかしら・・・。

きのうの日記に書いた作業に行ってみた。
数十人でワイワイ、という手作業。


その下準備の時間に行ったので、小人数で静か。
落ち着いた雰囲気の中で、
キチンと作業を伝えてもらうことが出来た。


そういえば、以前にも、何の作業だったか、
そんなことがあったわねぇ。
みんなが来る前に、個別に作業を伝えてもらった、
そのことをM子さんも覚えていてくれたのだった。


みんなが集まって来てからも、
‘自分もチャンと一員’みたいな…。
次から次と、やることがあって、
自分にやれるところをやっていたけど、
身体もガタつき始めて、
一区切りついたところで帰ってきた。
自分にしては、上等々々。 充分だよね。


前日にM子さんが声かけてくれたとき、
断ってしまわなくて良かったわ──。
こちらの事情を話して、一緒に考えてもらって、
本当に良かった──。(ハート)


多少のお役に立てて、
‘自分なりの’充実感が味わえた。

グッタリ疲れたけど、
チョット横になって一休みしたら、
復活できたものね。  (^-^*)