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あの、かめおかゆみこさんの、
【かめわざ快心塾】というのがあります。
≪今日のフォーカスチェンジ≫というメルマガです。
いつも私を元気づけてくれるんですが、
今朝のお話は“ハンデをもつひと”というタイトル。
グッときました。 ↓
http://plaza.rakuten.co.jp/kamewasa/diary/200708300000/
ぜひ全文を読んで戴きたいです。
私が特に胸にこたえたのは、
『ひとは、みな、程度の差はあれ、
内容の差はあれ、すべて、
ハンデをもって生きているのです。
……
そのハンデを、
たがいにみとめあって、
おぎないあって
生きていくほうが、ずっと
楽しくて、楽でしょう?』
というところ。
ほんとうにそうですね──。
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私は、聞こえづらいことを忘れた日は無いほどなんですが、
(そんなに、辛い、ってことではないです)
あるとき、少人数の話合いの中で、
「自分なりに簡易筆談器や、難聴バッジを作ってみたのよ〜」と話したら、
弱視の友人、T子さんが、こんなことを言ったんです。
「ミチさんは、聞こえづらいことを、一つ一つ考えて手を打っているんやねぇ。私は、見えへんことを、あんまり気にせんと、‘わたし見えへん’で終わりにしてしまってるわー。」
この言葉にビックリしました。
だって、T子さんは、いつも軽く明るく、細かいこと気にしなくて、積極的にやれる人、という風に、
私には見えていたから。
私は、聞こえづらい日々で、「言ってることを、ちゃんと聞きたい…」という思いがハッキリあるようなんですね。
ふつうに聞こえる人なら、聞こえなくても、たぶん気にしないで聞き流しちゃうようなことでも。
何が良いか、悪いか、分からないですね。
今思うのは、こうしてお互いを見て、
育ち合っていきたい、
幸せになり合っていきたいな、ってことです。